臨床心理士・公認心理師の資格を持つ女性カウンセラーが、森田療法の考え方を用いてオンラインカウンセリングを行います。

森田療法オンラインカウンセリング

あずま通り心理相談室が閉室し「森田療法オンラインカウンセリング」に名称が変わりました。
Zoomミーティングというソフトウェアを使用してオンライン心理相談を行います。電話による相談も行います。
日本中、世界中どこからでもオンライン面談で森田療法のカウンセリングが受けられます。

開業時間:10:00~11:50/14:00~20:30 / 火・金・月1回土曜(午前)開業 / 開業日のページをご確認下さい。
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2015年12月のブログ

2015年 12月10日

親芋子芋
 

先日 とある野菜直売所に大好物の里芋の親芋を探しに行きましたが 売っていませんでした

そこで 勇気を出して レジの方に聞いてみました

「あの すみません 里芋の親芋って ありますか?」


すると レジの方 「以前 生産者さんが気が向いたときに 置いてたこともあったけど… 」 

どうやら 商品価値が認められていないような印象

でも 普通の里芋(つまり子芋)がこれだけ売られていれば 当然 親芋があるはず


そこで もう一声 勇気を出して言ってみました

「親芋って ねっとりして すごくおいしいけど あんまり売っていないんですよね」「直売所ならあるかと思って来てみたんですけどね」

すると 奥から出てきたお店の方が なんと! 「生産者さんに電話で聞いてみます」ですって!


私 「えー!わざわざ すみません」
 待っている間 恥ずかしさを感じつつも しばし レジの方に 親芋のおいしさを力説していた )

お店の方が生産者さんと話をつけてくれて 翌日 親芋をお店に出荷してくれることになりました

個別対応してくれるなんて すごい展開!!

お店の方とレジの方にお礼を言い 「明日 またきます」 と お店を後にしました


この時 対人恐怖症者として 思ったこと

やべぇー!! 今後 この直売所に通うのが 気まずくなっちゃったよ

までは 知らーん顔して ふらり~ と入って なぁーんにも気を使わずに 買い物できたのに

これからは 行くたびに お店の人に どうも~ なんて 会釈してから 買い物せにゃならん

めんどくせー!!

しかし  親芋欲しさに 私は 一線を越えてしまったのだ…


あー!! 苦手な状況作っちゃったよ~ !!


はて  私は なにが苦手なんだろう?

お店の人に挨拶をすることが嫌なんだろうか?

そのお店の人と仲良しのお客さんは たくさんいる

そういう人は ため口で お店の人と気軽に話をして 買い物を楽しんでる

私は お店の人と そんな風に 気軽に話なんてできないよ

恥ずかしいんだよ


でも そのお店は直売所だから 旬の 新鮮でおいしい野菜が売っている

から これからも 買いに行きたいんだよ  ううう…


翌日 お店に行くと 里芋コーナーに 親芋が見あたらない…


ドキドキ  もしかして おいしいのを知ってる人が 即買いしてしまって

もう 全部売れちゃったのかしら  ドキドキ

でも 私の分はちゃんと とっておいてくれてるかも…


ドキドキしながらレジに並び 私の順番がきた

レジは昨日の方

「あのう 昨日 親芋をお願いしてあったんですが…」

レジの方 にっこりして 待ってました!という顔して 後ろから 親芋を2袋 出してくれた

私 「ありがとうございました」とお礼を言って 2袋とも買い 買い物は終了

お店は結構混んでいたから レジの方とも それ以上 やりとりは なし


神経質性格者は あいまいな状況が苦手 100かゼロか思考が大得意

だから お店の人と まったく知らん顔か 顔なじみか どっちかでいたいんだよね

中途半端に知ってる間柄って ほんっと 苦手!

そういう相手と どんな話をすればいのか どんな顔して会えばいいのか パニくっちゃう


神経質性格者は てっとりばやく 問題解決したがり屋

めんどくさいプロセスをすっとばして 早く楽チンになりたいの!


あ~ 気軽に人付き合いできる性格の人がうらやましい…


ま しゃーない しゃーない

目的はあくまでも!!!  おいしい野菜を買いに行くこと おいしい野菜を食べること

お店の方にお世話になったのだから これからは お店に行ったら 会釈をしよう 気まずいけれども


気まずい気分は 永遠には続かないもの

時間がたてば 消えてなくなるもの

ここで 森田療法の「感情の法則」の登場だ

森田療法の感情の法則 :
「感情は そのまま放任すれば 時がたつにつれて 自然に消失する」


ちょこっとの努力 ちょこっとの我慢

この一苦労が 自分を成長させる 

人間を一回り大きくするのに必要な行動


考えてもみなよ 自分

お店の人も レジの人も 自分のために一仕事をしてくれたんだよ

だから それなりに 自分も誠実にしていなきゃ それこそ 恥ずかしいじゃん!

(お店の人が売るために当たり前のことしただけじゃん なんて考える人もいるかもしれないけどね)


親芋で コロッケ作ったら 抜群においしかった!!

甘辛く煮たのも ホクホク ねっとり サイコー!!

 

2015年 12月22日

ある事件現場
 

日常生活の中で、自分の中の攻撃性の強さを自覚して落ち込む時があります

先日 電車に乗ろうとした時のこと
前に並んでいた若い女性が、ながらスマホでうつむいたまま、ドアが開いてもノロノロしてなかなか前に進まない

イラ~!っと怒りがこみ上げる私
早く乗ってよ! 座れなくなっちゃうじゃない!
(いつも荷物が重たいのでできれば座りたいのです)

イライラした私は 彼女のスピードより早いスピードで前進
結果 私が前に組んでいた手の甲が 彼女のリュックに当たる

いや 正直に言おう
当たったのではなく 正直に言うと 押しちゃったのだ

ほんの ちょっとだけ

すると 背中に圧迫感を感じた彼女 クルッと振り返って 私の顔を見る

私 ドキッ

彼女 電車に乗り込む
続いて 私も乗り込む
二人とも 斜め向かいあって 座席に着いた

私 彼女を押した後ろめたさを感じつつ
さっと本を出して平静を装い 読書のポーズ

こころの中は 大人げない行動をした恥ずかしさ
攻撃性が強く その行動をコントロールできないことに対する自己嫌悪感

私じゃない人だったら 押す なんてこと しないだろう きっと
私って やっぱり “怒り”が身体中に充満しているんだな
そんな自分 嫌だな
穏やかに成長してこられなかった自分 嫌だな

自分の中の攻撃性に出会うと
とってもみじめな気持ちになって 落ち込みます
普通の人より 性格悪いなって 落ち込みます

駅で ながらスマホでトロトロ歩いている人に しょっちゅうイライラしてしまいます(ほかの理由で速度の遅い方は仕方ないと思います あくまで ながらスマホの場合)

血の気が多すぎるのかな 私

他の人はどう感じているんだろう

“ながらスマホ” で 検索したら 駅でイライラしている人は 結構います

ホッ


今 思いだしました
ながらスマホ女子を押してしまって落ち込んでいた その後
下車した駅のエスカレーターの前でのこと

前方に キャリーバックを 腕をのばして引っ張って歩く30代くらいの女性
まわりは結構な混雑

中年男性が 女性のキャリーバッグのために距離感を見誤り つんのめりそうになりました
すぐに男性は キャリーバッグの女性に声をかけ しっかりと注意していました

その光景を見て 私は ちょっとだけ ほっとしました
やっぱり イラッとくるよね
こころの中で 男性に ガッツポーズ!

注意された女性は ちゃんと すまなそうな様子で 謝っています
えらいじゃん! いい人じゃん!
遠目から見て 男性の注意の仕方は 正義感ある雰囲気で カッコよかった
それが 女性にちゃんと伝わっていたのでしょう

私も あの男性のように 上手に 自己主張ができるようになりたいな~


自分の中の攻撃性の強さについて ブログでカミングアウトすることにしばらく悩みました

こんなセラピストに 相談したくないって 思われてしまうんじゃないかって

でも それほど 悪質な行為を働いた というわけではないんじゃないかと…


これを読んで 気持ちをわかちあえる人も 中にはいるかもしれない

そう思って 書いてみました


 

2015年 12月24日

すみれ
 

あるストレス状況が引き金となって、それまで意識したことがなかった様々な症状が気になるようになり、

その症状に対する恐怖や不安が最大の関心事になると、症状を怖がって自由に行動ができなくなってしまいます。

以前は何も考えずに電車に乗って自由にどこへでも行けたのに、異常に緊張してしまい、乗物が怖くなってしまった。 

どうして? 情けなくて悲しくてみじめだ。

以前は友達と会って馬鹿話することが楽しかったのに、異常に緊張してしまい、人に会うのが怖くなってしまった。
どうして? 情けなくて悲しくてみじめだ。

以前は外でおいしいものを食べるのが楽しみだったのに、異常に緊張してしまい、外食が怖くなってしまった。
どうして? 情けなくて悲しくてみじめだ。

以前は何も考えずにスーパーのレジで並んでいたのに、異常に緊張してしまい、倒れるんじゃないかと考えてしまう。
どうして? 情けなくて悲しくてみじめだ。


以前は何も考えずに道を歩いていたのに、異常に緊張してしまい、ふらふらして倒れてしまうんじゃないかと考えてしまう。
ただ 道を歩くだけだよ? どうして? 情けなくて悲しくてみじめだ。

以前は美容師さんに洗髪してもらうのが気持ちよかったのに、異常に緊張してしまい、呼吸がうまくできなくなりパニック症状がでてしまう。
どうして?情けなくて悲しくてみじめだ。

・・・ ・・・

・・・ ・・・

家族にも、友だちにも、だれにも理解されない症状のこのつらさ。
症状自体つらいのはもちろんですが、以前は自由に平気で出来ていたことをできなくなってしまったそのことが、本当につらく感じてしまいます。


なんでこんな自分になっちゃったんだろう。
もと
の元気な頃の自分に戻りたい。
一体いつになったら治るんだろう?
治るとしても何年もかかってしまうんだろうか?
絶望的な気分になってしまいます。

あ~、前の自分に戻りたい。
元気な頃の自分に戻りたい。

そう考えるのは自然だと思います

精神(心理)療法で、ものの考え方を変えることが必要といわれても、
自分の考え方を変えなくてはならないという、そのこと自体が、
自分を否定されたように感じられ、みじめになります

なぜ、普通の人がしなくてもいい “考え方を変える” なんて作業を
自分はやらなくてはならないの?
ましてや、紙と鉛筆を持って、自分の考え方を書いて、別の考え方を書き出す
こんなこと、普通の人はやらないでも普通に生きてるじゃん
なんで自分はわざわざこんなことをやらなきゃならないの?

私のような神経質性格者は、負けん気やプライドが高いので、
自分の考えを紙の上で書きかえる、という作業に取り組むことが
非常に屈辱的に思えてしまうのです。

 

紙に別の考え方を書き出すのは、かつて、私が取り組んで上手くいかなかった“考え方の変え方”です。
この精神(心理)療法の方法は、私には合いませんでした。
( 合う人には合うのかもしれませんので、あくまで私には合わなかったということです )

このころの私は、朝、目が覚めた瞬間、息をすることに緊張して意識してしまい、
はじめに吸うんだっけ? 吐くんだっけ?
と考えて怖くなり、恐怖感で息が普通にできないようなこともありました。
(いき)が詰まる まさに 人生に行き(生き)詰まっていました。

そんな中で、森田療法の本に出会い、症状が怖くても、怖いままで、健康な人と同じように日常生活を普通に送ることで神経症が治ると知りました。

長い長いトンネルの暗闇の中で、ようやく明るい出口が見えたようで、
生まれて初めて、自分のままで生きていかれる、という希望が持てました。
( 神経症になる前は、自分のままで生きる、とか、こむずかいことは考えたことはなかったですが )


森田療法では、普通の人がやらないような行動をする必要はありません。
健康な人が、普通にやっていることを、自分も普通にやるのです。
だから、私のような神経質性格者の傷ついたプライドはそれ以上傷つきません。

もちろん、行動をするには、症状の怖さに耐える、というつらさはともないますが、必要な行動が出来たことによって得られる小さな自信が、励みになります。

もちろん、次の行動をするときも、励みなんて忘れて、また怖いです。
それでも、徐々に、怖さはやわらいでいき、徐々に、行動がしやすくなっていきます。

して、日常生活が充実していきます。
日常生活が充実してくると、副産物として、考え方に変化が現れてきます。


繊細な自分を、弱い、ダメな人間と決めつけなくなっていきます。
繊細な自分だからこそ出来ることがある、そのことに気がついていきます。

神経症になった自分の一面だけを見て、偏見で自分を全否定していたことに気がつきます。

元気だった頃の自分像も、自分の元気な一面だけしか認めていなかったことに気がつきます。

もっと多面的な一人の人間として、自分を認識できるようになっていきます。
すると、他者に対しても、物事に対しても、多面的に認識しようという智恵が養われていきます。

症状の最中にいるとき、元気な頃の自分に戻りたい、と、情けなく悲しく感じてしまうのは仕方ないと思います。

でも、
元気な頃の自分は、実は、自分の一面しか認めない、窮屈な考え方をしていた、ということを、あとになって理解できるようになると、

元の自分のまんまに戻っちゃったら、
あーた、なんのために神経症になって、こんなに苦しい思いをしたの?
ってことになっちゃう、ということがわかります。


元の自分(そうせざるを得なくて余計なよろいをかぶっていた自分)よりもっと、
柔軟な、自由な考え方を持った本来の自分に変わる(戻る)ために、

自分の中の、本来の自分が、神経症になってメッセージを送ってくれているのだ、ということを、

伝えたいし、共有したいと思います。

転んでもただでは起き上がらないのが、神経質性格者の本領でっせ。

2015年 12月31日

すみれ
 

今年の夏にスタートしたこのブログです。

日頃読んでくださっている皆様、今年はお世話になりましてありがとうございました。

皆様が読んでくださっていることが励みとなって、少しずつ記事を書くことができました。

4コマまんがや、新しく始めたペンタブレット画、過去に描きためた油絵等、

そして、神経質性格者や神経質傾向の人たちが、

生き生きと人生を送るための私の思いや、つなたい知識が、

このブログを通して少しでも役に立ってくれればうれしく思います。


さて、2015年大みそか。

今、現在の予期不安としては、


まずは、健康で無事にこの年末年始を過ごせるだろうか、ということ。

そして、来年以降も仕事をして、元気で生きていかれるだろうか、ということ。

また、人間関係でも、もっと成長していかれるだろうか、ということ。

加えて、経済的な不安にこたえるために、必要な行動を継続的に行えるかどうか、ということ。

さらに、不安に押しつぶされてうつ的になった時に、乗り越えていかれるかどうか、ということ。


などなど、不安はつきません。


森田療法のことばを紹介します。

「不安とは、この一生をただで終わりたくない、偉くなりたい、真人間になりたい、という、あこがれに対するやるせない苦悩なのだ」 

(「森田正馬全集第5巻」 『神經質療法への道』序文より)


先々の不安はつきないし、過去をなげくこともありますが、

今は今なりの自分なりの一所懸命で生きることがなにより大事。


そして、苦しいときは、お念仏!!!


今、私の目の前のやるべきことは、

一週間サボった家計簿つけと、

なますやら、煮しめやらの、野菜の皮むき。

 

早くやらなきゃ、お正月に間に合わなくなる~ !!


それでは 皆様 よいお年を!!!

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